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吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “澄んだ泉のほとりで”

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NANA MOUSKOURI “澄んだ泉のほとりで”

写真上は、アルバム・タイトルアヴェ・マリア~母と子のアリア/ナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-136 1987)の邦盤LPの表面、写真下はその裏面です。本LPは、ナナが過去に録音したイギリス、フランス、スペインの民謡や古くから伝わるクラシカル・アリアの名曲13篇を集めたナナのベスト・アルバムです。ナナの名唱が、やすらぎと愛を伝えてくれます。

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澄んだ泉のほとりで

今回は、本LPに収められている≪澄んだ泉のほとりで≫を紹介致します。この曲は、日本でも邦題名≪清らかな泉のそばで/澄んだ泉にて≫等で知られている民謡です。もともとはフランス領であったカナダのケベック発祥の歌と言われていますが、フランス本土に伝わり、革命当時から歌い継がれてきたという作者不詳の古いフランス民謡です。また、男性が主人公の時の歌詞、女性が主人公の時の歌詞など数バージョンがあるようです。ナナは、ジョルジュ・ペツィラスの編曲、ジ・アテニアンズの伴奏で、心を込めて唄います。

澄んだ泉のほとりで A LA CLAIRE FONTAINE

きれいな泉へ
散歩に行くと
水は透きとおっていて
私は水浴びをした
貴方を愛したのは 昔のこと
決して貴方を忘れないわ


樫の葉陰で
身体を乾かした
一番高い枝で
ナイチンゲールが鳴いていた
貴方を愛したのは 昔のこと
決して貴方を忘れないわ


歌いなさい ナイチンゲール 歌いなさい
お前は陽気な心を持っているから
お前の心は 笑い出しそうなんだから
私の心は 泣き出しそう
貴方を愛したのは 昔のこと
決して貴方を忘れないわ


それは 友達のピエールのせい
もう私を愛してくれないから
だって バラのつぼみを
私が 受け取らなかったから
貴方を愛したのは 昔のこと
決して貴方を忘れないわ


友達を失ったの
私が彼にあたいしないので
だってバラのつぼみを
私が受け取らなかったから
貴方を愛したのは 昔のこと
決して貴方を忘れないわ

長い時の流れの中を生き残って来た古謡には、聴く人一人一人がそれぞれの物語を持っているものです。ナナは素直な演唱に何とも言えない情感を漂わせて唄ってくれます。

NANA MOUSKOURI “哀れなリュトブーフ”

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NANA MOUSKOURI “哀れなリュトブーフ”

写真は、アルバム・タイトルナナ・ムスクーリシャンソン・アルバム≫(FONTANA SFX-6003 1974)の邦盤LPの表面です。本LPは、ナナがパリを拠点として活動する中で、シャンソンを数多く取り上げておりますが、その中から名曲・名唱を集めて編集された1枚です。彼女ならではの美しい演唱に、シャンソンの魅力を再発見する事が出来ます。

哀れなリュトブーフ

今回は、本LPに収められている≪哀れなリュトブーフ≫を紹介致します。この曲は、中世の吟遊詩人リュトブーフ(リュトブフ)の詩に、<パリ・カナイユ>等で知られるレオ・フェレが1956年に作曲した一篇で、レオ・フェレをはじめ多くの歌手によって歌われています。リュトブーフは、13世紀後半の人で、パリで貧窮のうちに放浪生活を続け、庇護者を求めての惨めな生涯を送り、絶望や悲惨さを詩に書き綴りました。ナナは、ジョルジュ・ペツィラスのギター・ソロを伴奏に、しみじみと唄います。

哀れなリュトブーフ PAUVRE RUTEBEUF

あの友人達は どうなったのだろう
あんなに身近に付き合い
とても好きだった友人達は
みんなバラバラになってしまったの
風がそうさせたのね
愛は死んでしまった
風がみんなを連れ去ったんだわ
風は私の扉の前を吹いて
彼等を連れて行ってしまったの


時がたって 木々が裸になる時
もう 地面に落ちるだけの
白い葉しか残ってない時
貧しさに打ちひしがれ
あちこちで いさかいをする
冬の話は
聞かせる様なもんじゃない
どんなに 恥ずかしさを感じた事か
どんなに


あの友人達は どうなったのだろう
みんなに身近に付き合い
とても好きだった友人達は
みんなバラバラになってしまったの
風がそうさせたのね
愛は死んでしまった
悪いことばかりじゃなかったけれど
来るべきものは
みんな来たわ


悲しい苦しみ 悲しい思い出
栄光の神が 私にくれたものはそれ
そして僅かばかりの年金
それに北風が吹く時の ひどい仕打ち
風はやって来て 私に吹きさらす
愛は死んでしまった
風は友人達を 連れ去ってしまったの
私の扉の前を吹いて
連れて行ってしまったの


明日にかける希望こそが
私の喜び

ナナは、放浪の吟遊詩人リュトブーフの旅の哀れを、しみじみとした味わいも格別に聞かせてくれます。原曲の味を損なわずに、現代風のセンスの良い控えめな演唱が聞きものです。

NANA MOUSKOURI “紙の月”

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NANA MOUSKOURI “紙の月”

写真上は、アルバム・タイトル≪MES PLUS BELLES CHANSONS GRECQUES≫(FONTANA 6399 020 1963 FRANCE≫の洋盤LP表面で、写真下はアルバム・タイトルナナ・ムスクーリギリシャを歌う》(FONTANA SFX-6004 1974)の邦盤LP表面です。本LPは、ナナがその本領を発揮した、記念すべき素晴らしいアルバムです。彼女が唄うのは生まれ故郷ギリシャの歌で、しかも作曲者はギリシャの2大作曲家であるマノス・ハジダキスとミキス・テオドラキスの作品が収められています。

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紙の月

今回は、本LPに収められている≪紙の月(ハルティノ・ト・フエンガラキ)≫を紹介致します。この曲は、ナナの恩人であるマノス・ハジダキスが作曲し、N.ガトソスが作詞したギリシャの歌で、ギリシャ語で唄われています。彼女の古くからのレパートリーであり、十八番の一つとなっています。神秘的でエキゾチックなメロディーは、美しくも悲しく、何とも言えない魅力を持っています。この曲の歌詞は、2種類のバージョンがあるようで、以下に併記しております。その1は初期の、その2は後期のバージョンと思われます。(対訳者が異なるためか、多少歌詞表現に差がみられます。)

紙の月 HARTINO TO FEGARAKI (その1)

白金の風と一緒に 海が鳥を運んで来る時
貴方の髪をなでて 貴方の手にキッスします
紙で作った月は 浜辺に落ちて
もし 貴方が私をもっと信じてくれるのなら
すべての事が本当になるのよ


貴方の愛が無かったなら 時間も早く過ぎてしまいます
貴方の愛が無かったなら この世はもっとにがくてつらい
紙で作った月は 浜辺に落ちて
もし 貴方が私をもっと信じてくれるのなら
すべての事が本当になるのよ


貴方の愛が無かったなら 時間も早く過ぎてしまいます
貴方の愛が無かったなら この世はもっとにがくてつらい

紙の月 HARTION TO FENGARAKI (その2)

紙で出来たお月さま
想像の世界の水辺
でも 貴方が私のことを 少しでも信じたら
すべてが現実となれるのに・・・・


貴方の愛が無いと 時間は早く過ぎ
貴方の愛が無いと 世界は小さくなってしまう
紙で出来たお月さま
そして 想像の世界の水辺
もし 貴方が私のことを 少しでも信じてくれたら
すべてが現実となるのに・・・・


貴方の愛が無いと 時間は早く過ぎ
貴方の愛が無いと 世界は小さくなってしまう

ナナの唄声は心暖まるヒューマニティにあふれており、その曲調に合わせたやさしい愛情のこもった名唱を聴く事が出来ます。

NANA MOUSKOURI “激しい雨が降る”

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NANA MOUSKOURI “激しい雨が降る”

写真上は、アルバム・タイトルau THEATRE DES CHAMPS-ELYSEES≫(FONTANA 6325 327 1974 FRANCE)の洋盤LPの表面で、写真下はその裏面です。このアルバムは、1973年12月13日から17日まで、パリのテアトル・デ・シャンゼリゼで行われた、リサイタルのライブ・レコーディングです。本LPには、伝統を誇るシャンゼリゼ劇場で繰り広げられた演唱の模様が生き生きと捉えられています。日本では、同様の邦盤LPが、シャンゼリゼ劇場ナナ・ムスクーリ(FONTANA SFX-5155 1974)として発売されています。

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激しい雨が降る

今回は、本LPに収められている≪激しい雨が降る≫を紹介致します。この曲の原曲は、ボブ・ディランが作詞・作曲した<A Hard Rain’s a-Gonna Fall>(旧邦題「今日も冷たい雨が」)です。ディラン独自の象徴的なイメージがメッセージに託されており、多様な解釈が出来る難解な歌詞となっています。ナナは、ボブ・ディランのフォーク・ソングを、ピエール・ドラノエによるフランス語歌詞で、見事に自分のものとして、じっくりと力強く唄い込んで行きます。

激しい雨が降る LE CIEL EST NOIR

眼の青い息子よ 何処から来たの
不幸な様子の息子よ 何処から来たの
私は歩き回った 十の古い道を
踏みつけた 木の無い二十の森の木の葉を
散歩した 三十の死んだ海の前を
四十の山の肌に 足跡を印した
徒刑の道を 十マイルも歩いた


空は暗い 空は暗い
暗い 暗い 
降って来るのは黒い雨


息子よ その青い眼で何を見たの
息子よ 何を見たの そんな不幸な様子をして
狼の口の中に 新しい赤ん坊が生まれたのを
ガンジスの様に汚れたダイヤの道を見た
ルーブルの庭の彫像の上に 血を
新しいミケランジェロの筆の上に 血を
もう喋らない 沢山のお喋り婆さん達を
翼の上を飛ぶ 白い鳥を
ボンベッシュをして遊ぶ子供を


空は暗い 空は暗い 
暗い 暗い 
降って来るのは 黒い雨


何を聞いたの 青い眼をした息子よ
何を聞いたの 不幸な様子をした息子よ
私には世界の果ての雷鳴が聞こえた
影の中からやって来る足音が
聴衆の居ない楽師達の演奏が
どうでもよい人々の 沢山の叫びが
悲しげな人をあざわらう与太者の声が
音楽を探す詩人の歌が聞こえた
舞台で鳴くピエロの声が聞こえた


空は暗い 空は暗い 
暗い 暗い 
降って来るのは 黒い雨


青い眼をした息子よ
不幸な様子をした息子よ
私は死んだ白い馬の上に 小さな影と会った
金を配っている億万長者に
嘘をついたと告白する公証人に
ガソリンをかぶる学生に
私にフランスをくれるプロシャの王に
チャンスも無しに走り回る年寄りに会った


空は暗い 空は暗い 
暗い 暗い 
降って来るのは 黒い雨


何をしたの 青い眼の息子よ
何をしたの 不幸な様子をした息子よ
雨が降る前に 私はまた出掛けるわ
暗い森の奥深く隠れる為に
そこでは人はみんな貧しくて
男は自分の島を持っている
そこでは涙も 寄る年波も何も無い
そこでは全ては同じで けれど監獄の城の様
死刑執行人が花を投げながら あなた方を殺す
泥棒と被害者が 嘘つきポーカーに興ずる
そこは 色は黒 番号はゼロ
やがて私は帰り 世界に叫ぶ
山の高みから 影の底まで
そして 深い海の上を歩くだろう
そして 静かに私の墓の中に沈んで行く


空は暗い 空は暗い 
暗い 暗い 
降って来るのは 黒い雨

ナナはコーラスを従えて、ドラマティックに唄を盛り上げていきます。9分近くの大熱唱で、ナナの想いが込められた名唱を聴く事が出来ます。

NANA MOUSKOURI “道を求めて”

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NANA MOUSKOURI “道を求めて”

写真上は、アルバム・タイトル≪toi qui t’en vas(立ち去る人)≫PHILIPS 9101 015 1975FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はLP見開きのスナップ写真で、インター・ナショナルなアーチストとして過去に受賞した35枚のゴールド・レコードを背景に、恥ずかしそうにしているナナが印象的です。日本では、同様の邦盤LPが、ナナ・ムスクーリ/立ち去る人≫PHILIPS FDX-203 1976)として発売されています。

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道を求めて

今回は、本LPに収められている≪道を求めて≫を紹介致します。この曲の原曲は、ジョン・デンバーが1974年製作のディズニー映画≪遥かなる子熊の森(The Bears and I)≫の主題歌として書いた<スィート・サレンダー(Sweet Surrender)>である。この映画は、ロッキーの大自然のなか、戦争に翻弄されたベトナム帰還兵と子熊との交流を描く物語ですが、この曲にはジョンの深い想い入れが込められています。ナナは、この<スィート・サレンダー>のフランス語版を、クロード・ルメールのフランス語歌詞で唄います。

道を求めて SUIS TA ROUTE

広い世界へ向って走る国道

違う宇宙の星空へ向って

メス馬に乗って行く国道

冬の夜 今夜の私の宿泊地

新鮮な空気を吸いに私は外へ

一体この国道は何処へ行くのでしょう

誰の所へ向って行こうと

大した問題じゃない

 

私は道の進むまま行くだけ

でも 私はほっとして 笑い出したいし

自分でおかしなことを言ってみたい

自分自身でいたい 私の好きな私

そして やっぱり旅立っていく私

一生 旅行していたい

あちこち散策したい私

新しい愛より 何倍も素晴らしいこと

 

貴方の道をそのまま続けなさい

もし貴方が自分の身をいたわるなら

途中で もし疑うなら

貴方はそんなに遠くへ行かないのだから

 

私にまだ残されている 全ての戦いは

私にとってはどうでもいいこと

何故 そんなことを考えるのでしょう

私は自由になり 生き方を変え

生きるために生きます 全てが始まり

私は昔の喜びを変えました

私の後悔や 苦しみや

私自身の恐怖などは

もう私のものではありません

私は道を進み出してしまい

何にでもいいから 窓を大きく開け放しておきます

そのうち地球は永遠なのかどうか

後ろに回っているのか もう回っていないのか解るでしょう

つまり この世界の回転 それは未知なこととの出会いです

 

貴方の道をそのまま続けなさい

もし貴方が自分の身をいたわるなら

途中で もし疑うなら

貴方はそんなに遠くへ行かないのだから

フランス・ポピュラー音楽界の才人アラン・ゴラゲールのアレンジと伴奏指揮に乗って、さわやかなナナの唄声が、私達の心を未知なる世界への旅に誘います。