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Sound Gallery ブログ

吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI“フランス民謡”を唄う

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NANA MOUSKOURI“フランス民謡”を唄う

1960年末よりフランスのパリを拠点に活動を続けて来たNANAが、1973年7月にパリでフランス民謡を録音しました。写真上は日本で発売されたLP(桜んぼの実る頃/VIEILLE CHANSON DE FRANCE FONTANA SFX-5094 1974)で。歌われている曲は古いシャンソンでした。中世の吟遊詩人の詩に現代の作曲家が節づけした曲も含まれていますが、その多くがシャンソン・ポピュレートと呼ばれる読み手知らずの民謡曲で、フランスの歴史と伝統につちかわれた民衆の生活を反映して伝えられた歌です。写真下は同時期に日本で発売されたシャンソン・アルバム(ナナ・ムスクーリ・シャンソン・アルバム/LE TEMPS DES CERISES FONTANA SFX-6003 1974)です。

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NANAは10数年にわたる体験をもとに、豊かな感受性でその歴史や文化を把握して、その国の人でなければ判らない微妙な民族性を理解して古典曲を演唱しました。結果は、ギリシャ的なアレンジと歌いまわしが加わり、フランスのいかなる歌手にもヒケをとらないユニークなフランス民謡集に仕上がり、フランスの批評家が口を揃えて絶賛を惜しみませんでした。今回は、レコード・タイトルとなっている“桜んぼの実る頃 LE TEMPS DES CERISES”を紹介致します。

 

“桜んぼの実る頃”について

この曲は、パリ・コミューンの指導者の1人だったジャン・パチスト・クレマンが1866年に亡命先のベルギーで発表し、オペラ座のテナー歌手ルナールが作曲しました。クレマンは1885年に、この歌をルイーズというコミューンの女子衛生隊員に捧げましたが、その内容には政治的な色彩は無く、桜んぼの実る頃の短い恋の季節が唄われています。ジ・アテニアンズの伴奏(ジョルジュ・ペツィラスのアレンジ)で、NANAの名唱が味わえます。

 

“桜んぼの実る頃”LE TEMPS DES CERISES

桜んぼがなって 歌をうたうと

陽気なナイチンゲールやものまね※ は

お祭り騒ぎをやる

美しい娘達はとりとめもなくなり

恋人達は心に太陽を持つ

桜んぼがなって 歌をうたうと

ものまね※ ははしゃぎだす

 

けれど短い 桜んぼの季節は

その季節には二人出掛けて行く

桜んぼの様な服を着て

夢見ながら 落葉の上の

血のしみの様な桜んぼを

けれど短い 桜んぼの季節は

夢見ながら摘むさんご色の果実の時は

 

わたしの好きなのは桜んぼの頃

この季節になると わたしの心の

古傷が開く

例えお金を沢山貰っても

わたしの苦しみを鎮めることはできやしない

わたしの好きなのは 桜んぼの頃

そして心の底のあの思い出

※ものまね;マネシツグミで北米大陸に分布する鳥類。この歌詞ではヨーロッパに広く分布するクロウタドリをさすと思われます。

 

パリ・コミューンは1871年3月28日にパリの労働者が設立した革命的な自治政府でしたが、国民議会軍との5月21日から28日の抗争により、コミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行われました。クレマンが野戦病院付の看護婦ルイーズと出合ったのは5月26日、手には桜んぼの入った籠を携えていたという。ルイーズの姿に感銘を受けたクレマンはその娘との再会を願ったが、彼女も犠牲者となり、それは果たされませんでした。クレマンは1866年に既に3番までの歌詞を書いていましたが、ルイーズに出会って4番目を書き足しました。4番目の歌詞は歌のなかでは3盤目に歌われており、3番の歌詞には2ヶ月で幕を閉じたパリ・コミューンの終焉とこの虐殺への思いが綴られております。

 

このシャンソンは次の献辞とともに彼女に捧げられました。≪1871年5月28日 日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに ≫

また、ペール・ラシューズ墓地にあるクレマンの墓石には、作り物の桜んぼが添えられています。クレマンの墓石の周辺には、この歌がNANAの清らかな歌声で聴こえてくるように思います。