Sound Gallery ブログ

吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “アテネの恋唄”

f:id:soundgallery:20190114130301j:plain

NANA MOUSKOURI “アテネの恋唄”

写真上は、ナナが日本デビューした記念すべきアルバムアテネの恋唄≫(LONDON LED-240 1962 U.S.A収録)の邦盤EPの表面です。写真中は、アルバムナポリに帰りて≫(FONTANA FON-1007)の邦盤EP表面、写真下は、アルバムアテネの白いばら≫(FONTANA FON-1018)の邦盤EPの表面です。ナナの日本デビューの頃の経過は、以下にまとめています。

f:id:soundgallery:20190114130434j:plain

アテネの恋唄

今回は、ナナの日本デビューの頃のこれらレコードの中からアテネの恋唄≫を紹介致します。この曲は、ナナの恩師であるマノス・ハジダキスの作品です。英語歌詞は、ノーマン・ニューウェルで、恋人に別れを告げる女性の気持ちを、切々と唄います。
この曲は、1961年にベルリン映画祭に出品されたギリシャの観光記録映画<Dreamland of Desire 希望の夢の国/憧れの夢の国>のサウンド・トラックのなかの1曲とされていますが、日本未公開のため未確認です。日本では、岩谷時子の訳詩でザ・ピーナッツが歌っています。

尚、アテネの恋唄≫と表記されているEP盤に収録されている曲は、どうゆう訳か≪ATHINA 私のアテネ(作曲:マノス・ハジダキス、作詞:ニコス・ガチョス)です。曲名のサブ・タイトルも[The Song of Athens]と表記されており、サウンド・トラックで使用された曲と曲名に混乱があったものと思われます。

f:id:soundgallery:20190114130540j:plain

ナナ・ムスクーリの日本デビューの頃の経過>

1962年、《A面:アテネの恋唄、B面:年月の歌》がロンドン・レコードにて録音され、日本ではキング・レコードを介して発売された。ナナの記念すべき日本デビュー盤となる。
その後すぐに、フォンタナ・レコードより≪A面:ナポリに帰りて、B面:山は呼んでいる≫が、フォンタナ・レコード第二弾シングルとして《A面:アテネの白いばら、B面:アディオ》が順次発売された。B面に収録されている<アディオ>は、アテネの恋唄》のドイツ語歌詞(ドイツ語タイトル;Ebbe und Flut)によるものです。
ナナの日本デビューでは、ヒット・パレードを賑わせるようなヒット曲を出すことはありませんでした。その後の地道な活動により、ヒット・ソング歌手というよりはアルバム歌手としての評価が次第に高まっていきました。

アテネの恋唄 ADIOS, MY LOVE(The Song of Athens)

アディオス 私の愛
私は いつも誠実でいたい
私には 貴方が居なくて寂しい
貴方は分かっているはず
私は 永遠に待っています
貴方のために 私の愛をいつまでも


私に 貴方をもたらした潮のうねり
海を歩き回って 貴方を取り戻したい
私は一人 海岸で待つ
私の愛が 永遠に貴方のものであることを知るでしょう
時が始まって以来 男は放浪するもの
女は 彼を家に向い入れるのを待つべきもの
しかし貴方はいつも不在
私は 言葉で言い尽くせないほど 貴方を愛しています


アディオス 私の愛
私は いつも誠実でいたい
私には 貴方が居なくて寂しい
貴方は分かっているはず
私は 永遠に待っています
貴方のために 私の愛をいつまでも


私に 貴方をもたらした潮のうねり
海を歩き回って 貴方を取り戻したい
私は一人 海岸で待つ
私の愛が 永遠に貴方のものであることを知るでしょう


アディオス 私の愛
私は いつも誠実でいたい
アディオス 私の愛
アディオス 私の愛

ナナは、ギリシャの匂いがするメロディーに乗って、彼への一途な想いを≪アディオス 私の愛≫と繰り返し唄い上げます。アディオスは、スペイン語≪さよなら≫を意味する言葉ですが、あまり日常的に使われる言葉ではなく、もう会えないような長い別れの時に使われる言葉だそうです。