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吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “アフター・ザ・ゴールド・ラシュ”

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NANA MOUSKOURI “アフター・ザ・ゴールド・ラシュ”

写真上は、アルバム・タイトル≪QUE JE SOIS UN ANGE≫PHILIPS 9101 007 1974 FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はLP見開きのスナップ写真です。このLPは、ナナが1974年に発表したアルバムで、ここでは第2の故郷であるフランス語を中心に情感のこもった歌声を聞かせてくれます。曲目も、きわめて国際色豊かで、オリジナル・ナンバーのほか、イギリス、アメリカ、ドイツ等の曲を取り上げ、親しみやすい演唱を繰り広げています。日本では、同様の邦盤LPが、ナナ・ムスクーリ/夢がある限り≫(FONTANA FDX-133 1975)として発売されています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

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アフター・ザ・ゴールド・ラシュ

今回は、本LPに収められている≪アフター・ザ・ゴールド・ラシュ≫を紹介致します。この曲は、ニール・ヤングが1970年に発表した作品で、プレリュードのレコードが1974年はじめ、イギリスのヒット・パレードを賑わしました。
世界の歴史の中で暴力により破壊されてゆく自然の姿を、象徴的な詩につづったもので、歌詞の1番目は過去、2番目は現在、3番目は未来という構成になっています。難解な作詞ですが、1番目の過去編では夢で見た中世~近世~産業革命による自然の危機が、2番目の現在編では自然の破滅が、3番目の未来編では夢で見た新たな自然への旅立ちが唄われております。

アフター・ザ・ゴールド・ラシュ  AFTER THE GOLD RUSH

ところで 私が見た夢とは
女王の噂をしながらやって来る
鎧姿の騎士達と
歌を歌う百姓達と
太鼓を叩く者達と
木に弓を放つ射手
太陽にまで届くファンファーレが
そよ風の中を漂って
ああ この1970年代の
自然の母の姿を見よ!


焼かれた地下室に横たわっていた
私の目には 月の光が満ちあふれ
太陽が昇ったら
私は何処かへ移りたいと望んでいた
空想の世界では 楽団が演奏し
友達が言ったことを考えながら
それがウソであることを願って
私はすごく恍惚としていた


ところで 私が見た夢とは
黄色い太陽の中を飛んでいく
銀の宇宙船と 
泣きわめく子供達と
選ばれた全てのものの回りに
ひるがえるいくつかの旗
夢の中の全て 夢の中の全ては
もうすっかり一杯になって積み込まれ
自然の母の銀の種は
新しい太陽の住処を求めて 飛び立っていた
自然の母の銀の種は
新しい太陽の住処を求めて 飛び立っていた

ナナは、この曲をザ・キングス・シスターズをバックに、無伴奏で唄います。英語歌詞によるその語りかけが、私達の心に限りない共感を呼び起こします。

NANA MOUSKOURI “ゴロンドリーナ”

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NANA MOUSKOURI “ゴロンドリーナ

写真は、アルバム・タイトル≪アマポーラ~恋のアリア/ナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-135 1986)の邦盤LPの裏面です。このLPは、スペイン語によるアルバムで、ナナのスペイン語により曲に豊かな情感が与えられ、快い雰囲気と感銘を覚える仕上がりのLPとなっております。LP発売と同時にCD化もされています。(以前に、当ブログにて紹介致しました。)

ロンドリーナ

今回は、本LPに収められている≪ゴロンドリーナを紹介致します。この曲は、メキシコ各地で愛唱歌として歌い継がれている民謡曲で、原題の(LA GOLONDRINA)はスペイン語で≪つばめ(燕)≫の意味です。
メキシコ出身の医師であったナルシソ・セラデル・セビージャが作曲したもので、1861年のフランス・メキシコ戦争で捕虜としてフランスへ連行されました。この時の祖国メキシコへの望郷の想いを、≪燕の詩≫に託して作った曲です。

もともとの原詩は、アラブ出身のアベン・アメーで、アラブがイベリア半島を約250年間に渡り支配していましたが、1492年に最後の砦であったグラナダがヨーロッパ勢により陥落した際に、滅びた祖国を偲びその悲しみを≪燕≫に託して謳った詩と言われています。
≪安住の地を求めて飛び立つ燕を見送りながら、愛する祖国を想い、翼のない我が身を悲しむ・・。≫

ロンドリーナ LA GOLONDRINA  対訳;高場将美

何処へ行く そんなに急いで 疲れて
ここから去って行く燕よ
もし風の中に 道を迷ったら
安住の地は 見つからなくなるだろう


私のベッドの傍に 巣を作ってあげよう
そこで冬を過ごせば良い
私もまた この地に迷い込んで
ああ しかも飛ぶことも出来ない


私もまた 愛する祖国を去った
生まれた家も捨てた
放浪の苦しみが 今の私の人生
もうあの家に 戻ることは出来ない


愛しい鳥よ さすらいの愛人よ
私の心で お前の心を抱き締めたい
やさしい燕よ お前の歌を聞こう
私の国を思い出し 泣くために

哀愁を帯びたメロディーに乗って、ナナはほのぼのとした心暖まる情感を込めて唄います。聞けば聞くほどに味のある演唱を、しっとりと≪名残りを惜しむ唄≫を聴かせてくれます。メキシコでは、日本での≪蛍の光≫のように、人との別れの際に歌われ、店の閉店時にはこの曲が流されるそうです。

NANA MOUSKOURI “愛は遥か彼方に”

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NANA MOUSKOURI “愛は遥か彼方に”

写真上は、アルバム・タイトル≪JE CHANTE AVEC TOI LIBERTE≫PHILIPS 6399 295 1981 HOLLAND)の洋盤LPの表面、写真下はLP中開きのスナップ写真です。1980年代に入り、ナナ・ムスクーリは、自分の持ち味にぴったり合った曲を集めて唄い込んだアルバムを次々と発表していきました。本アルバムも、そんな線上に位置しており、制作はアンドレ・チャペル、編曲とオーケストラ指揮はアラン・コラゲールが担当しました。日本では、同様の邦盤LPが、≪愛は遥か彼方に/ナナ・ムスクーリ 愛と喜びの詩≫PHILIPS 28PP-26 1981)として発売されています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

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愛は遥か彼方に

今回は、本LPに収められている≪愛は遥か彼方に≫を紹介致します。この曲は、本アルバムを制作指揮したアラン・コラゲールのオリジナル曲で、フランス語歌詞はC.Lemesleによる“愛の出会い”をテーマに、ナナが気品のある美しく清らかなソフト・ヴォーカルで≪近くて遠い愛の想い≫を唄います。

愛は遥か彼方に QU’IL EST LOIN L’AMOUR

なんて遠いの 遠いの 愛は
貴方は彼に会いに行く
彼は貴方を助けに行く
でも 世界の他の場所では
なんて遠いの 遠いの 愛は
長い旅をしなければ
十字路や 人の名や
いろいろな顔に出会った後


私の世界 きれいな指輪
ブロンドの女が ブロンドの男に
褐色の髪の女が そんな男に
男は女の 女は男の為に居る


なんて遠いの 遠いの 愛は
でも 近いこともある
同じ町外れの道
同じアパート 同じポーチ
なんて遠いの 遠いの 愛は
貴方が一人で眠っていても
明日になればわからない
光りが差し込んで来る事も


私の世界 きれいな指輪
ブロンドの女が ブロンドの男に
褐色の髪の女が そんな男に
男は女の 女は男の為に居る

アラン・コラゲールの編曲・指揮とフランス少年少女合唱団の共演を得て、ナナのリリックな名唱が光る一編となりました。

NANA MOUSKOURI “夜明けの二人”

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NANA MOUSKOURI “夜明けの二人”

写真は、アルバム・タイトルNANA MOUSKOURI ATHINA≫PHILIPS PHL-1-3003 1984 CANADA)の洋盤LPの表面です。このLPに収容されている曲は、全てナナの母国であるギリシャの歌がギリシャ語で唄われております。彼女の歌の本質と醍醐味を、たっぷりと味わうことが出来るLPに仕上がっております。日本では、同様の邦盤LPが、≪私のアテネナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-5002 1984 フランス直輸入盤)として発売されております。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

夜明けの二人

今回は、本LPに収められている≪夜明けの二人≫を紹介致します。この曲は、B.グーファス作詞、M.ハジダキス作曲によるロマンチックな歌で、ナナはアルバムのオリジナル・ジャケットに『私の国ギリシャ、私はその素朴さ、詩情、そして色彩が好きなのです。私は幼い頃、母が唄うのを聞いて、これらの歌を覚えました。』としるしています。

≪雲が雨を運び、私達は二人きり。雨はひょうとなる。でも、私達は平気。貧しい男が、何を恐れよう。どこへ行こうと、空が彼の家なのだ。

肩に旅行バックをかけて彼は行く。太陽に向かって航海しよう。そして、涙を乾かそう、夜が明けてゆく・・・。≫永田文夫氏の解説を引用

夜明けの二人 XIMERONI  対訳;荒木英世

雲が雨を降らせ 私達は二人だけ
雲が雨を降らせ 私達は二人だけ
雨はあられになったけど 平気です 平気です
雨はあられになったけど 平気です 平気です


貧乏人には恐れるものはなし 今ある住まいが天国です
貧乏人には恐れるものはなし 今ある住まいが天国です
道を歩むのには 道を歩むのには肩の袋があります
道を歩むのには 道を歩むのには肩の袋があります


さあ 太陽と忘却に向けて帆を張ろう
さあ 太陽と忘却に向けて帆を張ろう
生命は涙を乾かし 夜が明ける 夜が明ける
生命は涙を乾かし 夜が明ける 夜が明ける

NANAの唄声が、ギリシャの哀愁あるフォーク調のメロディーに乗って、明るいギリシャ的な詩情が漂う歌になりました。

NANA MOUSKOURI “祈り”

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NANA MOUSKOURI “祈り”

写真は、アルバム・タイトル≪愛のひととき/ナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-8 1980)の邦盤LPの表面です。このLPは、有名曲とオリジナル曲がバランス良く配置され、ナナの清楚な唄声により、ひとときの幸せを味わって頂けるアルバムに仕上がっております。アルバムの紹介帯には、<透明感溢れる歌声に、美しい旋律が輝きをます。エーゲ海のコバルト・ブルー、アテネの白いバラ、美しい風景がここちよいそよ風とともにやってくる。>と記されています。

祈り

今回は、本LPに収められている≪祈り≫を紹介致します。この曲の原曲はグルジア民謡ですが、伝承曲のメロディにグリジアの詩人アカキ・ツェレテリが作詞した≪スリコ≫の歌で知られています。この歌は、今は亡き兵士スリコをしのぶ恋人の歌でしたが、日本で親しまれている歌では、死んだのは女性の方になっています。この歌が、クロード・ルメールとピエール・ドラノエによるフランス語歌詞により、世界のため・人類のための祈りの歌に生まれ変わりました。ほのぼのとしたメロディに乗ってナナが祈ります。世界に向けて、心を込めて・・・・。

祈り PRIERE

世界のための祈り
人類のためのクレド
暗闇から出て来た子供達
突然 そのまま歌い出す


世界のための祈り
人類のためのクレド


川のための愛の歌
小さなせせらぎのため
森や空地のため
小鳥達の歌と溶け合う愛の歌


大地のための祈り
そこに住む人々のためのクレド


長い讃美歌が
銀河のかなたへ飛んで行き
無限の宇宙に
言葉を描く


祈りは突拍子もないものかも
愛し笑う人達にとっては


(ハミング)


鳩のための祈り
鷹や狼から逃れ
平和に長生きするように
そして私達を守ってくれるように


世界のための祈り
たとえそんなに祈らなくても・・・・・

クレド(使徒信条);キリスト教における、使徒から伝えられたと信じられている信仰告白のこと。

宗教的な雰囲気を持つ曲の数々は、ナナのすがすがしい唄声にピッタリですが、これほど唄にフイットする曲も少ないと思われます。