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吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “アウトワード・バウンド”

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NANA MOUSKOURI “アウトワード・バウンド”

写真上は、アルバム・タイトルNANA MOUSKOURI/A PLACE IN MY HEART≫(FONTANA 6312 022 1971)の洋盤LPの裏面、写真下は同様の邦盤LP≪LOVE STORY/NANA MOUSKOURI≫(FONTANA SFX-7437 1971?)のLP見開きのスナップ写真です。この初期のアルバムには、シャンソンギリシャのポピュラー・ソング、アメリカのヒット・ソングやニュー・フォークが収められており、ナナのレパートリーの幅広さが伺えます。彼女の魅力と歌曲の美しさをじっくりと味わって楽しめるアルバムとなっています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

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アウトワード・バウンド

今回は、本LPに収められている≪アウトワード・バウンド≫を紹介致します。この作品は、アメリカのフォーク歌手兼シンガーソングライターとして有名なトム・パクストンの作詞・作曲です。この世から自由へと旅立つ心情を、ナナはジ・アテニアンズをバックに、素朴で美しいメロディーに乗せて、唄い上げて行きます。
この歌のナナのフランス語バージョンは、≪EN PARTANT≫です。

アウトワード・バウンド OUTWARD BOUND

世間の鎖よ 私達は海を走る船の上
世間の鎖よ 私と貴方の他には 誰も仲間は居ないの
ちょっと前までは
岸辺は私達の良く知っている人達で一杯


世間の鎖よ 終わりのない旅
世間の鎖よ 舳先の下に広がる自由の海
時の彼方に消えゆく あの緑に親しんだ岸辺よ
私達には もう時間は関係ないんだわ 


さよなら アデュ- またね ヴァヤ・コン・ディオス ※
彼等が何を求めていようと それが見つかりますように
前よりも 葡萄酒が美味しい時を思い出すといいわ
私達はもう疑問を持つ必要がないの 
もうこれ以上 何も尋ねないわ


世間の鎖よ 私達は航海でボロボロになった船の上
世間の鎖よ 曲がり道が多い孤独な航跡だったわ
そして事の真理を知ったの
それで私達は満足よ
おとぎ話のように 私達のこの航跡を子供達に話すわ


さよなら アデュー またね ヴァヤ・コン・ディオス ※
彼等が何を求めていようと それが見つかりますように
前よりも 葡萄酒が美味しい時を思い出すといいわ
私達はもう疑問を持つ必要がないの
もうこれ以上 何も尋ねないわ

さよなら;SO FAREWELLの訳
アデュー;ADIEU
(フランス語で長期の別れを告げる挨拶の言葉で、さようなら、ごきげんよう。)
またね;SO LONGの訳
ヴァヤ・コン・ディオス;VAYA CON DIOS
スペイン語で「神と共に行きなさい」の意で、「さようなら」の古語。)

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ナナは≪この世との別離の心情≫を、情感を押さえて淡々と唄います。その知的な抑制のきいた表現力に魅了されます。

NANA MOUSKOURI “時は流れる”

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NANA MOUSKOURI “時は流れる”

写真は、アルバム・タイトル≪青空の恋人/ナナ・ムスクーリPHILIPS FDX-309 1977)の邦盤LPの裏面です。このアルバムは、1976年の録音で、ナナのさりげない素直なフィーリングの中に、何とも言えない情感を醸し出した、彼女ならではのユニークな個性が発揮されているアルバムです。また、“知られざる名曲”を数多く収録し、すぐれた作品を厳選してうたっており、彼女の主張が伺えます。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

時は流れる

今回は、本LPに収められている≪時は流れる≫を紹介致します。この曲の英語の原題は、≪新しい夢 イエスタディズ・ドリーム YESTERDAY’S DREAMS≫で、過ぎ去った昨日の夢を想い、明日の希望を唄う愛の歌です。作詞・作曲はS・タイソンで、この曲にクロード・ルメールがフランス語歌詞を書き、時の流れのなかでうつろいゆく人生を唄う歌で、仏題は≪時の行方を誰が知ろう≫です。ナナが唄う英語盤の≪新しい夢≫も仏語盤の≪時は流れる≫も、じっくりと見事な演唱を味わって頂くことが出来ます。(≪新しい夢≫は、アルバム・タイトル<愛のメッセージ/ナナ・ムスクーリ>(PHILIPS FDX-317 1977)に収められています。)

時は流れる  QUI SAIT OU VA LE TEMPS

時の行方は 一体誰が知るでしょう?
あの一秒一秒の時は
どのカタコンブヘ行くのでしょう
長い時間の流れは
一体どの大洋を目指すのでしょう
もしかして 過ぎては消えて行く
嘘や影の世界・・・・
それだけにすぎないのではないかしら?


私の幼い体は何処?
昔話の中に きっちり納まって
それとも 思い出の中かしら
形を歪めてしまう鏡
私の未来は一体なに?
やるだけの価値は あるのでしょうか?
楽しい思い出が
一杯詰まっているのでしょうか?
ラ、ラ、ラ・・・・


時の行方は 一体誰が知るでしょう?
あの一秒一秒の時は
どのカタコンブへ行くのでしょう
長い時間の流れは
一体どの大洋を目指すのでしょう
もしかして 過ぎては消えて行く
嘘や影の世界・・・・
それだけにすぎないのではないかしら?

カタコンブ;パリの地下納骨堂の事で。パリ市内にあった大規模墓地を閉鎖した際に発掘された遺骨を、パリの地下採石場があったトンネルや洞窟を利用して収めた納骨堂。

ナナは、想い出を噛み締め、流れゆく時をいとおしむかのように、美しいメロディーに乗って、しみじみとした哀愁を感じさせる歌に唄に上げていきます。

NANA MOUSKOURI “サモス島の女”

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NANA MOUSKOURI “サモス島の女”

写真は、アルバム・タイトル≪NANA MOYΣXOYPH/OMOPΦH XΩPA H XΩPA MOY≫PHILIPS 818 111-1 1984 GREECE)の洋盤LPの表面です。このLPは、曲目の全てがギリシャ語で唄われるギリシャの曲であり、彼女の歌の本質と醍醐味を、たっぷりと味合うことが出来るアルバムに仕上がっています。日本では、同様の邦盤LPが、≪私のアテネナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-5002 1984)として発売されています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

サモス島の女

今回は、本LPに収められている≪サモス島の女≫を紹介致します。この曲は、ポピュラーなギリシャ民謡のひとつです。曲名のサモス島は、エーゲ海の東部、トルコ沿岸にあるギリシャの島で、ギリシャ神話の主神ゼウスの正妻である女神ヘーラーの生まれた島とされています。サモス島の女に捧げる恋物語で、郷土色豊かな伴奏も聞きものです。

≪サモス島の女よ、いつサモスへ行くのか? 私は、海岸にバラの花を敷き詰めて、貴方を迎えよう。金のオールと金の帆を持つ船で、貴方を迎えに行こう。顔にホクロのあるサモス島の女よ。黒い瞳の彼女は、私の心を粉々にしてしまった。≫
永田文夫氏の解説を引用

※永田文夫氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

音楽評論家・訳詩家である永田文夫氏は、今年5月13日にお亡くなりになられました。永田氏は、シャンソンの訳詩や普及にも尽力されました。特にナナ・ムスクーリに関しては、デビュー当初より彼女の紹介やLPの解説を担当されました。当方のホームページのナナの紹介記事や当ブログは、永田氏の解説記事に多くを負っております。的確な解説と信頼出来る記事を数多く提供して頂き、感謝に耐えません。ご冥福を心よりお祈りいたします。
サモス島の女 SAMIOTISA  対訳;荒木英世

サモスの女よ サモスの女よ 
いつサモス島ヘ行くの?
サモスの女よ サモスの女よ 
いつサモス島へ行くの?
浜に車を放ってから サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ
浜に車を放ってから サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ


貴方が乗る船に 
僕は黄金の帆を張って上げる
貴方が乗る船に 
僕は黄金の帆を張って上げる
金製の櫓を用意して サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ
金製の櫓を用意して サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ


オリーブを持った 
黒い瞳のサモスの女よ
オリーブを持った 
黒い瞳のサモスの女よ
貴方は僕の心を サモスの女よ
粉々にしてしまった
貴方は僕の心を サモスの女よ
粉々にしてしまった


サモスの女よ サモスの女よ 
いつサモス島ヘ行くの?
サモスの女よ サモスの女よ 
いつサモス島ヘ行くの?
浜に車を放ってから サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ
浜に車を放ってから サモスの女よ
貴方を迎えに行くよ

ギリシャ色の濃いリズミカルな伴奏に乗って、ギリシャの詩情と色彩を愛するナナの生き生きとした唄声は、音楽の素晴らしさを共感出来ます。

NANA MOUSKOURI “アフター・ザ・ゴールド・ラシュ”

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NANA MOUSKOURI “アフター・ザ・ゴールド・ラシュ”

写真上は、アルバム・タイトル≪QUE JE SOIS UN ANGE≫PHILIPS 9101 007 1974 FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はLP見開きのスナップ写真です。このLPは、ナナが1974年に発表したアルバムで、ここでは第2の故郷であるフランス語を中心に情感のこもった歌声を聞かせてくれます。曲目も、きわめて国際色豊かで、オリジナル・ナンバーのほか、イギリス、アメリカ、ドイツ等の曲を取り上げ、親しみやすい演唱を繰り広げています。日本では、同様の邦盤LPが、ナナ・ムスクーリ/夢がある限り≫(FONTANA FDX-133 1975)として発売されています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

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アフター・ザ・ゴールド・ラシュ

今回は、本LPに収められている≪アフター・ザ・ゴールド・ラシュ≫を紹介致します。この曲は、ニール・ヤングが1970年に発表した作品で、プレリュードのレコードが1974年はじめ、イギリスのヒット・パレードを賑わしました。
世界の歴史の中で暴力により破壊されてゆく自然の姿を、象徴的な詩につづったもので、歌詞の1番目は過去、2番目は現在、3番目は未来という構成になっています。難解な作詞ですが、1番目の過去編では夢で見た中世~近世~産業革命による自然の危機が、2番目の現在編では自然の破滅が、3番目の未来編では夢で見た新たな自然への旅立ちが唄われております。

アフター・ザ・ゴールド・ラシュ  AFTER THE GOLD RUSH

ところで 私が見た夢とは
女王の噂をしながらやって来る
鎧姿の騎士達と
歌を歌う百姓達と
太鼓を叩く者達と
木に弓を放つ射手
太陽にまで届くファンファーレが
そよ風の中を漂って
ああ この1970年代の
自然の母の姿を見よ!


焼かれた地下室に横たわっていた
私の目には 月の光が満ちあふれ
太陽が昇ったら
私は何処かへ移りたいと望んでいた
空想の世界では 楽団が演奏し
友達が言ったことを考えながら
それがウソであることを願って
私はすごく恍惚としていた


ところで 私が見た夢とは
黄色い太陽の中を飛んでいく
銀の宇宙船と 
泣きわめく子供達と
選ばれた全てのものの回りに
ひるがえるいくつかの旗
夢の中の全て 夢の中の全ては
もうすっかり一杯になって積み込まれ
自然の母の銀の種は
新しい太陽の住処を求めて 飛び立っていた
自然の母の銀の種は
新しい太陽の住処を求めて 飛び立っていた

ナナは、この曲をザ・キングス・シスターズをバックに、無伴奏で唄います。英語歌詞によるその語りかけが、私達の心に限りない共感を呼び起こします。

NANA MOUSKOURI “ゴロンドリーナ”

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NANA MOUSKOURI “ゴロンドリーナ

写真は、アルバム・タイトル≪アマポーラ~恋のアリア/ナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-135 1986)の邦盤LPの裏面です。このLPは、スペイン語によるアルバムで、ナナのスペイン語により曲に豊かな情感が与えられ、快い雰囲気と感銘を覚える仕上がりのLPとなっております。LP発売と同時にCD化もされています。(以前に、当ブログにて紹介致しました。)

ロンドリーナ

今回は、本LPに収められている≪ゴロンドリーナを紹介致します。この曲は、メキシコ各地で愛唱歌として歌い継がれている民謡曲で、原題の(LA GOLONDRINA)はスペイン語で≪つばめ(燕)≫の意味です。
メキシコ出身の医師であったナルシソ・セラデル・セビージャが作曲したもので、1861年のフランス・メキシコ戦争で捕虜としてフランスへ連行されました。この時の祖国メキシコへの望郷の想いを、≪燕の詩≫に託して作った曲です。

もともとの原詩は、アラブ出身のアベン・アメーで、アラブがイベリア半島を約250年間に渡り支配していましたが、1492年に最後の砦であったグラナダがヨーロッパ勢により陥落した際に、滅びた祖国を偲びその悲しみを≪燕≫に託して謳った詩と言われています。
≪安住の地を求めて飛び立つ燕を見送りながら、愛する祖国を想い、翼のない我が身を悲しむ・・。≫

ロンドリーナ LA GOLONDRINA  対訳;高場将美

何処へ行く そんなに急いで 疲れて
ここから去って行く燕よ
もし風の中に 道を迷ったら
安住の地は 見つからなくなるだろう


私のベッドの傍に 巣を作ってあげよう
そこで冬を過ごせば良い
私もまた この地に迷い込んで
ああ しかも飛ぶことも出来ない


私もまた 愛する祖国を去った
生まれた家も捨てた
放浪の苦しみが 今の私の人生
もうあの家に 戻ることは出来ない


愛しい鳥よ さすらいの愛人よ
私の心で お前の心を抱き締めたい
やさしい燕よ お前の歌を聞こう
私の国を思い出し 泣くために

哀愁を帯びたメロディーに乗って、ナナはほのぼのとした心暖まる情感を込めて唄います。聞けば聞くほどに味のある演唱を、しっとりと≪名残りを惜しむ唄≫を聴かせてくれます。メキシコでは、日本での≪蛍の光≫のように、人との別れの際に歌われ、店の閉店時にはこの曲が流されるそうです。