Sound Gallery ブログ

吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “夢がある限り”

f:id:soundgallery:20130707132659j:plain

NANA MOUSKOURI “夢がある限り”

写真はNANAが1974年に発表したLP(夢がある限り FONTANA FDX-133 1975)で、国際色豊かな曲目を情感のこもった歌声で唄っているアルバムとなっております。今回は、タイトル・ナンバーとなっている≪夢がある限り≫を紹介させて頂きます。

≪夢がある限り≫は、もともとはスペインの歌で、原題を『ジェゴ・トレス・エリーダス(彼は3つの傷を負ってやって来た)』といい、ミゲル・エルナンデスの詩に節づけられた歌です。スペインでは、ホアン・マヌエル・セラートがこの詩に作曲して歌い成功を収め、ジョーン・バエズも英語に訳して歌っております。NANAはそれを、ピエール・ドラノエのフランス語歌詞で吹き込んでおります。

3つの傷とは生・死・愛を示しています。 

 

ミゲル・エルナンデス

日本では馴染みが薄いと思われるスペインの詩人ミゲル・エルナンデスについて少し紹介致します。ミゲルは、1910年生まれで、家庭は貧しく父は山羊飼いでした。小中学校では教師達が父親に「きちんとした学業をさせるべきだ」と諭しますが、学業に無縁な父親はこれを拒否、教養に飢えていたミゲルは、山羊の番をしながら古典から現代に至る本を貪るように読んでいました。20歳のころ文芸仲間と知り合い、1933年に詩集を発表、難解な詩は批評家に黙殺されましたが、ガルシーア・ロルカが数少ない理解者の1人でした。1936年スペイン国内で内戦が勃発し、ミゲルはロルカの暗殺を機に共和国政府側の連隊に入隊。文化義勇兵に任命され、民主主義を守るため、あらゆる機会を通して詩を発表しました。1939年内戦終結後ポルトガルに逃れようとしますが、政府軍により逮捕され死刑を宣告されます。友人の嘆願により懲役30年に減刑されますが、1942年にチフスと結核を患い獄死しました。ミゲルはロルカと共に、まさに生と死と愛のはざまで生きた戦下の詩人でした。

f:id:soundgallery:20130707132741j:plain

NANAが“夢がある限り”を唄う理由は、ミゲル・エルナンデスの詩と生き様に共感した上での選曲と思われます。歌はフランス語歌詞ですが、ミゲルの原詩の主旨は充分に生かされていると思います。

 

夢がある限り LA VIE, L’AMOUR, LA MORT

私は私の家の石を選ぶことができます

お祈りする時も神を選ぶことができます

絶望にうちひしがれている時も

理性が私を勇気づけてくれ 私に希望を与えてくれます

それなのに私は何もできないのです

死に対してや 生に対してや 愛に対しては・・・・

 

私は自分の土地を選ぶことができます

それを手に入れるか入れないかは遊びです

風が通りすぎ 私は明かりをつけ火をおこします

それらが消えてしまった時は またつけ直します

それなのに私は何もできないのです

愛に対してや 生に対してや 死にたいしては・・・・

 

私は戦争も平和も選ぶことができます

そして喜びが私を誘う時 

地獄の苦しみにうずまく嵐の中へ 

私の精神を捨て去り 私の心を変えることができます

それなのに私は何もできないのです

生に対してや 死に対してや 愛に対しては・・・・

NANAは暖かい人間味と歌心で歌を包み込み、その歌声には快い雰囲気と余韻を味合うことができます。NANAが切々と唄う“夢がある限り”は実に味わい深い一編となっております。NANAは、きっと『自分では生や死はどうしようも出来ない。愛さえも・・・・。でも、夢がある限り、希望がある限り、望みがある限り、歌を唄うことが私には出来る。』と言っていると思います。