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吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “プレイス・イン・マイ・ハート”

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NANA MOUSKOURI “プレイス・イン・マイ・ハート”

写真は、アルバム・タイトル≪サインはピ-ス≫(FONTANA SFL-1395)の邦盤EPの表面で、A面には≪サインはピース≫が、B面には≪プレイス・イン・マイ・ハート≫が収められています。EPの解説には、≪彼女はフランスを本拠地にして活躍している為か、よくシャンソン歌手として紹介されている。確かに彼女はフランス語のナンバーを数多くレコーディングしているが、彼女の音楽性には、シャンソンの伝統的な流れよりも、もっと広い立場に立ったジェントルなポピュラー音楽的要素を発見することが出来る。≫と紹介されています。

プレイス・イン・マイ・ハート

今回は、本EPに収められている≪プレイス・イン・マイ・ハート≫を紹介致します。この曲は、作曲はJ・P・ファーランド、作詞はハル・シェイパーによるフォーク調の愛の歌です。何も言わずに旅立っていった恋人からの手紙を読みながら、淡々と唄われる愛のバラードです。“私の心の中にある想いは、貴方には見付けることが出来ないかもしれない・・・、私ほど貴方を愛している人は、一人もいないのに・・・。”

プレイス・イン・マイ・ハート A PLACE IN MY HEART

私の知らない町からやって来た 昨日の貴方の手紙
旅の途中と書いてあるけど 
貴方が何処に行くのか 私は知らない
太陽を求めて 旅していると言うけれど
確かなことは 結局はそんなもの何もないということ
ただ貴方が捜しているだけ


私の心には 貴方に知ってほしいものがあるの
私くらい貴方を愛しているものはないと思う
神様だけが知っている所まで 
貴方が旅を続けたとしても
貴方には決して見付けられないものがある
私の心の中の何か


風と一緒に旅をして 行く手を見付けると
貴方の手紙は語っているけど
貴方の心はじきに 歌を忘れてしまうでしょう
何時か貴方は詩をつづり 炎のような言葉で 
貴方の人生を語るでしょうけど
安らぎの家にも 貴方の望む愛にも巡り合うことはないでしょう


私の心には 貴方に知ってほしいものがあるの
私くらい貴方を愛しているものはないと思う
神様だけが知っている所まで 
貴方が旅を続けたとしても
貴方には決して見付けられないものがある
私の心の中の何か

ナナはジ・アテニアンズの軽快な演奏をバックに、さりげなく軽妙に淡々と《貴方への愛の心の想い》を唄い上げていきます。

NANA MOUSKOURI “囚われの島”

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NANA MOUSKOURI “囚われの島”

写真上は、アルバム・タイトル≪UNE VOIX≫(FONTANA 6325 320 1972 FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はその裏面です。このアルバムをプロデュースしたアンドレ・シャペルは、LP裏面に『一人の女性の声が、歌というものを、これほど微妙なニュアンスで、感情を込めて表現出来る力を持っているとは、全くミステリーとしか言いようがない。・・・』とコメントしております。

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囚われの島

今回は、本LPに収められている≪囚われの島(捕われの島)≫を紹介致します。この曲は、G・カツァロス作曲のギリシャの歌。フランス語歌詞は、エディ・マルネが書きました。波に乗って流れ着いた瓶の中に、島の囚人からの手紙が入っている・・・という、幻想的な内容が、ジョルジュ・ペチラスとユセフ・アリエのギターをバックに、美しく唄われます。ギリシャの昔話のような世界ですが、ひとり二重唱や波の音が効果的に使用されています。

囚われの島  PRISONNIER DANS L’ILE

海の上を流れる瓶が一本
砂の床の羊皮紙が一枚
冬の或る日
子供時代の私の手の中にやって来た


私の手紙を読む 見知らぬ貴方
私の為に祈って 私の為に祈って
私の空には 格子戸がはまっている
水の音で眠る 私は島の囚人


古い四角な羊皮紙
古い昔の文字
それらは昔 地の下に隠されたもの
一人の人間によって 書かれたもの


私の手紙を読む 見知らぬ貴方
私の為に祈って 私の為に祈って
私の空には 格子戸がはまっている
水の音で眠る 私は島の囚人


彼は誰? ならず者
それとも 友達のいない詩人
自分の国を愛しすぎて
お偉方に挑戦する男だったのかしら


私の手紙を読む 見知らぬ貴方
私の為に祈って 私の為に祈って
私の空には 格子戸がはまっている
水の音で眠る 私は島の囚人

ナナの唄声は、華麗なギターの音色に乗って、しっとりとした情感に溢れ、この曲の奥に秘められた何ものかを感じさせてくれます。

NANA MOUSKOURI “5セントの願い”

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NANA MOUSKOURI “5セントの願い”

写真は、アルバム・タイトルナナ・ムスクーリ/世界のビッグ・ヒットを歌う≫(FONTANA SFX-6005 1974)の邦盤LP表面です。このアルバムには、世界各国の英語とフランス語によるビッグ・ヒットが集められており、お馴染の名曲を情感豊かな演唱で聴く事が出来ます。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

5セントの願い

今回は、本LPに収められている≪5セントの願い≫を紹介致します。アメリカの女性シンガー・ソング・ライターであるメラニー・サフカによる1970年の作品で、翌年から’72年にかけてヒットしました。この曲(NICKEL SONG)は、日本では≪5セントの歌≫という邦題で紹介されました。メラニーは、『ネェ、あたいがサ、バクチうちじゃないことは、アンタも知ってるジャン、でもサ、あたいバクチ場にいたンヨ、連中は5セントを入れたワ、あたい歌ったんヨ、ララダダダ・・・。』こんな感じで唄っておりますが、ナナは愛らしいフィーリングでこの曲を唄い、フレッシュな魅力を感じさせてくれます。
永田文夫氏の解説を引用

ナナは、この曲をピエール・ドラノエの仏語歌詞(仏題“POUR QUELQUES CENTIMES”)にても唄っております。

5セントの願い NICKEL SONG

わかっているかい 
僕は賭博師じゃないよ
でも ギャンブルさせられ通し
5セントを賭けて 
僕はちょっと口ずさむのさ
ララダダダ・・・・・・


彼等が ラッキーだって構わないさ
でもいつも 彼等が勝ってしまうんだ
ギャンブルすると いつも悪い気持ちになるけど
5セント持っていると すぐ賭けてしまうんだ
僕は5セントの男 
ちょっと口ずさむのさ
彼等は5セントだけ賭けたのに
1ドルの歌が欲しいのさ
彼等は5セントだけ賭けたのに
1ドルの歌が欲しいのさ


何も知っちゃいないけど
どうなっているのか わかるんだ
ただ ちょっとだけ賭けるだけで
沢山賭けやしないさ
悪いことだもの
僕達は 5セントの男
ちょっと口ずさむのさ
ララララ・・・・・・


彼等は5セントだけ賭けたのに
1ドルの歌が欲しいのさ
彼等は5セントだけ賭けたのに
1ドルの歌が欲しいのさ
ララダダダ・・・・・・・
彼等は5セントだけ賭けたのに
1ドルの歌が欲しいのさ
ララダダダ・・・・・・・

ナナは、ジ・アテニアンズをバックに、メラニーの少し子供っぽい声と表情を感じさせて、ウエスタン調で楽しく唄っております。

NANA MOUSKOURI “ホリー・ホリー”

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NANA MOUSKOURI “ホリー・ホリー”

写真上は、アルバム・タイトルNANA MOUSKOURI/COMME UN SOLEIL≫(FONTANA 6325 301 FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はLP見開きのスナップ写真です。このアルバムは、全ての曲がフランス語歌詞で編集されており、円熟味を増した演唱に酔って頂くことが出来るLPに仕上がっております。

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ホリー・ホリー

今回は、本LPに収められている≪ホリー・ホリー≫を紹介致します。この曲の原曲は、アメリカのシンガー・ソング・ライターであるニール・ダイアモンドの1969年のヒット・ナンバーです。曲のタイトル名は≪HOLLY HOLY≫、直訳すると「聖なるセイヨウヒイラギ」という意味の言葉ですが、セイヨウヒラギのトゲトゲの葉や赤い実は、キリストの流した血と苦悩を表すとされ、「キリストの刺」「聖なる木」とも呼ばれています。

この曲に、フランス語歌詞をユベール・イチエが書き、≪夏の朝≫という題が付けられました。夏の朝に生まれた愛が、ファンタジックに唄われます。ナナのリズミカルで軽快なヴォーカルが心地よく響きます。

ホリー・ホリー UN MATIN D’ETE

夏の朝
愛の泉の
澄んだ水が流れる
輝く空に
幸せに泉から
夏の朝
私の愛は生まれた
私の人生の朝に
貴方が通るのを見て
泉のところで
遠く 澄んだ水の中へ
遠く 私の夢は発って行く
遠く 流れに沿って
急流の方へ 遠く 遠く 遠く
日々の河の流れまで
時の大洋の方へ
貴方と一緒に生きたいの
また子供になって 大きくなりたいの
そして苦しみ 死にたいの 貴方と一緒に
貴方と一緒に 貴方と一緒に


夏の朝
愛の泉の
私達の愛も同じ
太陽の方へ走って行く
泉から
夏の朝
私達の愛は生まれた
夏の朝
私達の愛は生まれた
夏の朝
私達の愛は生まれた・・・・・・

クリスチャン・シュバリエの楽団をバックに、ナナの魅惑の歌声が曲調を盛り上げていき、さわやかな好唱を聞かせます。

NANA MOUSKOURI “ラブ・マイナス・ゼロ”

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NANA MOUSKOURI “ラブ・マイナス・ゼロ”

写真上は、アルバム・タイトル≪DANS LE SOLEIL ET DANS LE VENT≫(FONTANA 6399 014 1969 FRANCE)の洋盤LPの表面、写真下はその裏面です。このアルバムは、1969年の録音で、1960年代の数々のヒット曲の中から、すぐれた歌詞の歌が選曲され、ナナの初期の歌声による魅惑の演唱を楽しむ事が出来ます。日本では、同様の邦盤LPが、NANA MOUSKOURI FIRST ALBAM≫(PHILIPS SFX-7226 1974?)として発売されています。(以前に、当ブログにて紹介いたしました。)

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ラブ・マイナス・ゼロ

今回は、本LPに収められている≪ラブ・マイナス・ゼロ≫を紹介致します。この曲の原曲は、ボブ・ディランが1965年に発表したアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に収録されている≪ラブ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット LOVE MINUS ZERO OVER NO LIMIT≫です。なんとも難解な曲名ですが、アメリカにおいてディランは、当初は《フォークの貴公子》として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされていました。しかし、彼は「プロテスト・シンガー」という束縛からの解放を次第に望むようになり、その頃に作詞・作曲されました。この曲は、最初の妻となったサラ・ラウンズに捧げた愛の唄と言われています。ナナは、ディランの原詩をもとにしたピエール・ドラノーアのフランス語歌詞で、ジ・アテニアンズをバックに<私の彼>に唄いかけます。
ラブ・マイナス・ゼロ  AMOUR MOINS ZERO  対訳;蒲田耕二

私の彼は 沈黙そのもの

パッションも激しさも見せない

彼の見かけは ちょうど

氷にも 炎にも似てる

他の人達は 何かしてる

約束とか バラの栽培とか

私の恋人は きっと

幸せな人間じゃないのね

 

店先とか 地下鉄では

人々が新しい情勢で 議論している

口角泡を飛ばしたり 新聞を読んだり

壁には スローガンがベタベタ

将来のことになると

彼は口をつぐんで しゃべらない

明日は彼にとって もっと悪いのね

今日の挫折よりもなお

 

生身の肉体が 次から次に

地に倒され 埃となってゆく

狩りの指揮者は 憎しみと欲望にうち震えて

鉄の檻を 開け放つ

狂人と 盗人と 片輪との

巨大な一隊が 出て来るのだ

“ねえ これで治まりがつくの ”

恋人は言う “世の中って こんなものさ”

 

車の往来で 橋が軋み立てる

医者が 怪我人の手当てをする

金を借りるのは いいけれど

お人好しは 高利に泣かされる

風はハンマーの様に うなりを上げ

夜は水辺に 竜巻を呼んで吹き荒れる

私の彼は フクロウのよう

窓辺に止まって 翼をすぼめてる

美しいメロディーに乗って、ナナは醒めた目で世の中を見ている彼に、淡々と語り掛けるように唄います。