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吉祥寺のオーディオ機器とNana Mouskouriのレコード・CD専門店ブログ。

NANA MOUSKOURI “アラバマ・ジョニー”

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NANA MOUSKOURI “アラバマ・ジョニー”

写真は、アルバム・タイトル≪愛のひととき/ナナ・ムスクーリPHILIPS 28PP-8 1980)の邦盤LPの表面です。このLPは、有名曲とオリジナル曲がバランス良く配分され、ナナの透明感溢れる唄声に、美しい旋律が輝きを増すアルバムとなっております。国際的な歌手としての実績が、余裕と貫録を感じさせるLPです。美しい風景が心地良いそよ風とともにやって来ます。

アラバマ・ジョニー

今回は、本LPに収められているアラバマ・ジョニー≫を紹介致します。この曲は、Al Graigが作曲し、ピエール・ドラノエとクロード・ルメールがフランス語歌詞を書いたもので、ナナとしても異色といえる曲です。なんとナナは、西部のカウボーイ娘になってカントリー・ウェスタンさながら、<アラバマ・ジョニー アリゾン・ジェリィ みんな私とデートした 私の子供時代を追って テキサスや いろんなところで>と唄います。

アラバマ・ジョニー ALABAMA JOHNNY

アルカディアの草原で
私は 羊飼いの少年達と一緒だった
西部一のカウボーイの女だった
みんなそう思っていた
アルカディアの草原で 
陽が暮れると
みんなでギターを持ち寄って
カントリー・ウェスタンを弾いていた
ドルの国の楽園で
みんなそのうち裸になった


アラバマ・ジョニー 
アリゾン・ジェリィ
みんな私とデートした
私の子供時代を追って
テキサスや いろんなところで
アラバマ・ジョニー 
アリゾン・ジェリィ
みんな私とデートした
私の子供時代を追って
テキサスや いろんなところで


アルカディアの草原で 
みんなロマンの主人公
もう子供ではなかった 私は南軍の娘
北軍に抵抗して 一波乱おこしてやった
アルカディアの草原で
私は違う娘を描いてみた
私にそっくり同じで 
浮かれ好きで ロマンチック
古代ギリシャの娘のよう
でも“スカーレット・オハラ”にもなれる娘


アラバマ・ジョニー 
アリゾン・ジェリィ
みんな私とデートした
私の子供時代を追って
テキサスや いろんなところで
アラバマ・ジョニー 
アリゾン・ジェリィ
みんな私とデートした
私の子供時代を追って
テキサスや いろんなところで


・・・・・・・・

ナナは、アラン・ゴラゲール編曲・指揮によるウエスタン調の軽快な伴奏に乗って、西部娘の心意気をさっそうと唄います。

NANA MOUSKOURI “アイ・アモール”

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NANA MOUSKOURI “アイ・アモール”

写真は、アルバム・タイトル≪TIERRA VIVA/NANA MOUSKOURI≫PHILIPS 28PP-143 1987)の邦盤LPの表面です。このLPは、スペイン語のアルバムでスペインのヒット曲やスタンダード・ナンバーのほか、フランスの歌やクラシック曲がスペイン語ヴァージョンで構成されています。ナナの豊かな情感と快い雰囲気がかもし出される収録となっております。

アイ・アモール

今回は、本LPに収められている≪アイ・アモール≫を紹介致します。この曲は、ホセ・マリア・プロン作詞・作曲のオリジナル曲です。≪アイ・アモール≫は、スペイン語のタイトル名で≪愛≫を表します。ナナは、ピエール・ドラノエとクロード・ルメールによるフランス語歌詞にても唄っており、仏題は≪PAR AMOUR≫です。どちらも<愛の調べ>を綴ったもので、奥深い感銘を与えられます。

アイ・アモール AY AMOR 対訳;高場将美

ああ恋人よ
もし貴方が存在しなかったら
ああ恋人よ
もし貴方が帰ってこなかったら
可哀そうな私!
それなら
生きていない方がいい
誰かが私を愛していると
感じられないのなら


ああ恋人よ
もし貴方がいなかったら
ああ恋人よ
どれほどの悲しみだろう
貴方以外の誰が
私を熱で
満たしてくれることだろう
この心に
寒さが忍び寄って来た時


私の遠くへ行かないで
私の家を捨てないで
貴方のいない人生は
炎のない火
私の遠くへ行かないで
もう決して去って行かないで
ああ恋人よ 貴方がいないと
全ては暗闇に閉ざされる


ああ恋人よ
貴方が存在しなかったら
ああ恋人よ
今日わたしの傍に
貴方の姿が見えなかったら
どうして解ることができよう
この私の悩みを
理解するには
どうしたらいいかを


私の遠くへ行かないで
私の家を捨てないで
貴方のいない人生は
炎のない火
私の遠くへ行かないで
もう決して去って行かないで
ああ恋人よ 貴方がいないと
全ては暗闇に閉ざされる


もう決して去って行かないで
ああ恋人よ 貴方がいないと
全ては暗闇に閉ざされる

ナナは、印象的なメロディーを持った地中海の香り漂うサウンドに乗って、<愛の調べ>を美しく爽やかにいろどります。

NANA MOUSKOURI “春の光の中で”

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NANA MOUSKOURI “春の光の中で”

写真は、アルバム・タイトルNANA MOUSKOURI “Quand tu chantes”≫PHILIPS 9101 093 1976 CANADA)の洋盤LPの表面です。このアルバムは、1976年の録音で、ヒット・パレードを賑わした曲だけでなく、<知られざる>名曲を厳選して取り上げております。ナナのさりげない素直なフィーリングの中に、彼女ならではのユニークな個性が発揮されています。日本にては、同様の邦盤LPが≪青空の恋人/ナナ・ムスクーリPHILIPS FDX-309 1977)として発売されています。

春の光の中で

今回は、本LPに収められている≪春の光の中で≫を紹介致します。この歌は、フランスのピアニストで作曲家・演奏家としても知られ、ナナとも関わりが深いアラン・ゴラゲールのオリジナル曲、クロード・ルメールがフランス語歌詞を書いたもので、仏題は≪それはいつも春≫です。<私に青春を与えてくれる時 二人の時 それはいつも春なの>と、二人で生きる喜びが願いを込めて綴られております。ナナの元気で溌剌とした唄声が楽しめます。

春の光の中で C’EST TOUJOURS LE PRINTEMPS

たとえ冬が雪の話をしてくれても
たとえ夏が収穫の話をしてくれても
秋は白ぶどう酒を隠すことができ
二人の時は それはいつも春なの
私はすべての世界を知りたいの
でも四季によっては行かないつもり
私に青春を与えてくれる時に行くわ
二人の時は それはいつも春なの


さあ 人生はここよ
そう 人生はうまくいっている
さあ 雨もあがるわ
そう ツバメが戻ってくるわ
花達には色がついている


冬の前 真夏まで
サクランボの山と小麦の歌
クリスマスの夜やヨハネの祝日の朝
二人の時は それはいつも春なの
私達は二人でカレンダーを創るの
限りない夜と長い休祭日
そして行先も 時間も知らないで
二人の時は それはいつも春なの


さあ 人生はここよ
そう 人生はうまくいっている
さあ 雨もあがるわ
そう ツバメが戻ってくるわ 
私達の心には色がついているの


たとえ冬が雪の話しをしてくれても
たとえ夏が収穫の話しをしてくれても
秋は白ぶどう酒を隠すことができ 
二人の時は それはいつも春なの
私はすべての水平線を知りたいの
でも四季によっては行かないつもり
私に青春を与えてくれる時に行くわ
二人の時は それはいつも春なの
二人の時は それはいつも春なの
二人の時は それはいつも春なの

ナナは、アラン・ゴラゲール編曲・指揮による軽妙な伴奏に乗って、<二人の春>への想いを爽快な唄声で聞かせます。

NANA MOUSKOURI “あわれな母親”

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NANA MOUSKOURI “あわれな母親”

本年もよろしくお願い致します!

写真は、アルバム・タイトル≪MES PLUS BELLES CHANSONS GRECQUES≫(FONTANA 6399 020 1963 FRANCE)の洋盤LPの表面です。本LPは、ナナがその本領を発揮した、記念すべき素晴らしいアルバムです。彼女が唄うのは生まれ故郷ギリシャの歌で、作曲者はギリシャの2大作曲家であるマノス・ハジダキスとミキス・テオドラキスの作品が収められています。日本では、同様の邦盤LPがナナ・ムスクーリギリシャを歌う≫(FONTANA SFX-6004 1974)(PHILIPS FDX-378 1978)として発売されています。

あわれな母親

今回は、本LPに収められている≪あわれな母親≫を紹介致します。この曲は、ナナの恩人であるギリシャの作曲家マノス・ハジダキスが作曲し、ギリシャの詩人・小説家であったヤコボス・カンバネリス(Iakovos Kambanelis)が作詞した作品です。ヤコボスは、ナクソス島出身ですが、その後、家族とともにアテネに引っ越しました。1942年、ナチス・ドイツの傀儡国家であったギリシャ国を批判したことからマウトハウゼン強制収容所に送られるも、1945年の終戦にて解放されています。<哀れなお母さん>への想いを、ナナは力強く溌剌とした歌声で唄います。

あわれな母親 MANOULA MOU

哀れなお母さん
お母さんの悲しみは
どんなに大きな河でも 洗い清めることは出来はしない


僕に何がしてあげられるでしょうか
一粒か二粒の涙の中には
四十二の悩みがあります
ああ お母さん ああ お母さん


でも それは何でもないことです
もし僕のほほに涙が流れて
僕が口を閉じたなら
ああ お母さん ああ お母さん


僕は探しているんだ 僕の気持ちのわかる人を
僕に話してくれる人を どうなるんだろう
一体どうなってしまうのだろう
誰が僕のこの気持ちを
受け止めてほしい
ああ お母さん ああ お母さん


<リフレーン>


La la la rila la la rilaa・・・・・

ナナは、神秘的でエキゾティシズム漂うメロディーに乗って、<お母さん>に呼び掛けます。美しくも悲しく、何とも言えない魅力が醸し出される佳曲です。

NANA MOUSKOURI “神よ汝らを楽しく休まし給え”

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NANA MOUSKOURI “神よ汝らを楽しく休まし給え”

写真上は、アルバム・タイトル≪CHRISTMAS WITH NANA MOUSKOURI≫PHILIPS 6444 575 1972 ENGLAND)の洋盤LPの表面、写真下はその裏面です。本LPは、ナナが要望に応じて1972年に発表したクリスマス・アルバムです。期待にたがわぬ素晴らしい出来栄えで、クリスマス・ソングの決定版といえるアルバムです。日本では、同様の邦盤LPが、ナナ・ムスクーリ/クリスマス・アルバム≫(FONTANA SFX-5086 1973)として発売されています。

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神よ汝らを楽しく休まし給え

今回は、本LPに収められている≪神よ汝らを楽しく休まし給え≫を紹介致します。この曲は、16世紀頃から唄いつがれていたイギリスの古いクリスマスキャロルです。1867年にサー・ジョン・スタイナーが現在の形にアレンジしました。日本では、≪ともによろこびすごせ≫という邦題名として、日本の教会では讃美歌≪世の人忘るな≫・聖歌≪たがいによろこび≫として知られている。ナナは、<快い喜びの時が訪れた。神よ、人々を楽しく憩わせたまえ。>と、<歓びの歌>を唄います。

神よ汝らを楽しく休まし給え GOD REST YE MERRY GENTLEMEN

友よ歓喜だ 
救いのイエスはこの世にあらわれぬ
サタンは滅び 幸あふれ
平安と歓びの時ぞいま


かの地 聖地ベスレヘム
貧しき馬屋の片隅に イエスは現れた
母なるマリアは清き乙女
平安と歓びの時ぞいま
平安と歓びの時ぞいま


遠き天なる国よりの御言葉
羊飼いの人々集まりて耳を傾け
かのベツレヘムの地に イエスの誕生を知る
平安と歓びの時ぞいま
平安と歓びの時ぞいま
平安と歓びの時ぞいま


いざともに歌い祈ろう
なべてこの世の愛と真を
エスの御言葉を
平安と歓びの時ぞいま
平安と歓びの時ぞいま
平安と歓びの時ぞいま

ナナは、クリスマス・ソングには欠かせないこの佳曲を、ジ・アテニアンズの伴奏に乗って、さわやかな唄声で私達に呼び掛けます。